横井商店

たった1人で守ってきた自然素材の飴
500年で培われた天然甘味の美味しさ

横井 千四吉さん[代表]


テレビ放映の反響で製造が追いつかないほど

「松波米飴」の歴史は、500年くらい前の戦国時代に遡ります。戦国大名がいろんな職人とともにこの松波の地に入り、その中にいた飴職人が広めたのが始まりです。戦中戦後の物資が不足していた時代には、砂糖は高価であったことから、米飴は庶民でも手に入れることができる甘味料として重宝されました。戦前までは各家庭でも作られていたほどです。母が終戦直後の昭和21年に香川県丸亀市から嫁いで以来、父とともに守り続け、またその父を30年前に亡くしてからは、たった1人で伝統を守り続けてきました。
今から15年程前には衰退の一途をたどっていて、消滅寸前でした。そんな危機的な状況の時に、たまたまテレビに取り上げられたことから、あっという間に全国に広まりました。反響が大きく一時期、製造が追いつかないほどでした。材料は、国産のうるち米と大麦だけです。砂糖や添加物は一切加えない手間ひまをかけた二つの素材のみからできる天然甘味です。製法は大麦を発芽させ、木槌で叩いて芽をとりそれを石臼で挽いた粉を「おやし」と呼びます。蒸したうるち米に「おやし」を入れて一晩寝かせて発酵させます。翌朝、麻袋に入れて絞った汁を大きな釜に入れて5時間程煮詰めます。それからしゃもじを片手に粘り具合を確かめます。もう一方の柄杓を使って、固さ加減を長年の経験と勘で調整します。
これまで商品は、「じろ飴」「豆飴」「米飴せんべい」「固飴」の4種類でしたが、新しく、「梅」「ブルーベリー」「塩」などの能登の里山里海から採れる自然の恵みをブレンドした商品を作り、バリエーションを増やしました。今では全国各地から自分の米で作って欲しいと、米を送ってきて「自分だけの飴」の製造依頼も多くあります。

さまざまな料理やスイーツの隠し味としても広まる

最近、「松波米飴」が料理やスイーツの隠し味に使われるようになってきました。素材の1つとして、自分達の分かる原料で作りたいとの思いから、その中の甘味材料として話題になっています。一例をあげれば、和食なら、「そうめんつゆ」「丼だし」「卵焼き」などに、スイーツであれば、「アイスクリーム」「黄粉ケーキ」「プリン」「米ロール」などに使用されています。このように砂糖を敬遠し自然な甘味を利用した料理を作りたい人が増えてきています。
たくさんのお客様から喜びの声や感謝の言葉をいただきます。それを励みに米や大麦を耕作されている農家の方々に感謝しながら、昔ながらの手仕事による製法にこだわって、代々受け継がれてきた技に磨きをかけ、これからも小さな工房で一つひとつ大切に丁寧に「松波米飴」を作ります。

横井商店

■ 住所/〒927-0602 石川県鳳珠郡能登町字松波12-83-1
■ TEL/0768-72-0077
■ 代表者/横井 千四吉
■ 業務内容/松波米飴製造・販売

※業務内容や商品等はねっとわーく発行時から変更されている可能性があります